「ブギの女王」として知られる笠置シヅ子さんですが、彼女の私生活には多くのドラマがありました。
特に、夫である吉本穎右さんとの短い結婚生活や、一人娘エイ子さんの誕生秘話には惹きつけられるものがあります。
今回は、そんな笠置シヅ子さんの娘・エイ子さんの現在や、夫である吉本穎右さんとの出会いや別れにスポットを当てて、彼女の人生を振り返ってみたいと思います。
笠置シヅ子の娘・エイ子の誕生と彼女の現在
10月2日放送スタート💃🎶
— 谷島屋本沢合店 (@honzawai) September 18, 2023
NHK朝の連続テレビ小説『#ブギウギ』
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笠置シヅ子さんと吉本穎右さんの娘は昭和22年6月1日に生まれています。
娘の名前は、吉本穎右(えいすけ)さんの遺言から「エイ子」と名付けられています。
本名は笠置シヅ子さんの亀井姓である「亀井エイ子」さんで、現在76歳。
エイ子さんは芸能活動を行っておらず、一般人としての生活を送っているとされています。
2021年には一度メディア出演を果たしており、その際の投稿がSNSに上がっていることから、朝ドラ「ブギウギ」をきっかけに、インタビューなどで登場する可能性はあります。
笠置シヅ子さんの娘・エイ子さんの誕生にはいろんなドラマや秘話がありましたので、詳しくご紹介していきます。


笠置シヅ子と夫・吉本穎右(えいすけ)の出会いと別れ
笠置シヅ子さんは、吉本興業の御曹司である吉本穎右(よしもとえいすけ)さんとの間に一人娘・亀井エイ子をもうけました。
笠置シヅ子さんと吉本穎右さんの出会いは、1943年の名古屋での公演中のことです。
シヅ子さんが楽屋を訪れた際、もともとシヅ子さんのファンだったという吉本穎右さんと出会い、二人の恋が始まりました。
笠置シヅ子さんと吉本穎右さんの関係は急速にすすみ、やがて結婚を約束した深い関係となりました。
やがて笠置シヅ子さんは、吉本穎右さんの子供を妊娠していることに気づきました。
当時、吉本穎右さんの実家である吉本興業の創業一家・吉本家は戦後の財産整理でごたついていました。
そのため、笠置シヅ子さんが出産し、吉本家の問題が片付いてから入籍や子供の認知をしようと約束していました。
吉本穎右との早すぎる別れ
吉本穎右さんとの未来を見据えて、笠置シヅ子さんは新居を購入し、芸能界引退に向けて活動をすすめていました。
しかし、幸せな日々は長く続きませんでした。
吉本穎右さんは、娘のエイ子さんが生まれる前の昭和22年5月18日に、23歳という若さでこの世を去ってしまいます。
死因は肺結核で、笠置シヅ子さんは出産前だったこともあり死に目にも会えませんでした。
突然の吉本穎右さんの死によりシヅ子さんは深い悲しみに打ちひしがれました。
吉本穎右さん亡き後の6月1日に、穎右さんの着ていた浴衣などを握りしめ、笠置シヅ子さんはエイ子さんを出産しています。

笠置シヅ子と夫の家族・吉本せいとの関係
笠置シヅ子さんと吉本穎右さんとの結婚には、多くの困難が待ち受けていました。
特に、吉本家の家長であり、吉本興業の創業者でもある吉本せいさんは、当初この結婚に強く反対していました。
吉本せいさんは、家業を継ぐ穎右さんにとって、笠置シヅ子さんは適切な結婚相手ではないと考えていたのです。
しかし穎右さんとシヅ子さんの絆は深く、二人は結婚を決意し、やがてエイ子さんを授かりました。
エイ子さんを授かったことで、吉本せいさんの態度は次第に軟化し、笠置シヅ子さんの芸能界引退を条件に結婚を認めるようになっていました。
穎右さん亡き後、シヅ子さんが娘・亀井エイ子さんを連れて吉本せいさんのもとを訪れた際には、

穎右がこの世に残していった一番おおきな置き土産だすよって、大切にしてやっておくんなはれ。
この子のために、みなであんじょうしましょう。
と笠置シヅ子さんとエイ子さんを受け入れています。
また吉本せいさんは孫であるエイ子さんを引き取りたいと申し出ています。
ですが笠置シヅ子さん自身が産後すぐに養子に出され、親の顔も知らなかったため



娘(エイ子)には同じ思いをさせたくない
と、吉本せいさんの申し出を断り、シングルマザーとしてエイ子さんを育てる決意をしています。




芸能界引退から一転・シングルマザーとして「ブギウギ」を発表
笠置シヅ子さんはは、吉本穎右さんとの結婚を前提に芸能界を引退していました。
しかし吉本穎右さんが肺結核で亡くなり、笠置シヅ子さんはシングルマザーとして、娘・亀井エイ子さんを育てるために芸能界へ復帰します。
再び歌手としての活動を再開することを決意しました。
シヅ子さんは作曲家・服部良一に新曲を依頼し、「東京ブギウギ」が生まれました。
この曲は、笠置シヅ子さんが出産からわずか3ヶ月後の昭和22年(1947年)9月10日にレコーディングを行い、大ヒットとなりました。
娘・エイ子さんの殺害予告事件が起きる
東京ブギウギの大ヒットにより、笠置シヅ子さんは「ブギの女王」として再びスターダムを駆け上がりました。
エイ子さんを連れて公演に行ったりテレビに出ていたため、シヅ子さんはエイ子さんの姿もマスコミに求められれば写真に撮らせていました。
しかし、そのことがきっかけで昭和29年(1954年)には、笠置シヅ子さんの娘・亀井エイ子さんに対する殺害予告事件が発生してしまいます。
この事件は、当時の芸能人のプライバシーが守られていない状況下で起きたもので、笠置シヅ子さん自身も



母親の一番の弱みを付いてこられた
と語っています。
この事件をきっかけに、シヅ子さんは娘・エイ子さんをメディアから遠ざけるようになりました。
\娘・エイ子さん監修 秘蔵写真や秘話も/


まとめ
笠置シヅ子さんとその家族には、多くのドラマがありました。
彼女の娘である亀井エイ子さんもまた、その一部として多くの人々に知られています。
生まれながらに父親がいなかったエイ子さんですが、笠置シヅ子さんが女手一つで一生懸命育てた愛娘ですので、愛情いっぱいに育ったのではないでしょうか?
朝ドラ「ブギウギ」の放送をきっかけに何かを語ることもあるかもしれないですね。



